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【鬼灯の聲~昭和連続射殺事件~】感想ネタバレ第2巻(最終回・最終話・結末)まとめ

『鬼灯の聲~昭和連続射殺事件~』最終巻2巻の最終回(最終話)を含めた感想ネタバレまとめです。結末(ラスト)はいかに!?

青森から上京し生まれ変わろうとする昭男を家族という運命は許してくれなかった。うつや不安、自殺願望の果てに虐待の連鎖が生んだ悲劇は繰り返される。なぜ少年は殺しを選んでしまったのか。少年法議論に多大な影響を与えた連続射殺事件の結末とはーー。犯罪事件を追及する異才のホラー作家、稲垣みさおの意欲作、ここに完結!

本編あらすじ

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昭男の勤める店は東京の中心にある高級果物店だった。昭男はよく働いた。朝早く掃除をし、誰よりも遅くまで作業した。昭男は人と会話した経験が少なく、東京でも友達が出来なかったが、真面目さが評価された。

しかし、昭男は自分の頭の中だけで結論づける事があった。人に悩みを相談せず、噂話を聞いても事実確認もせず…自分が攻撃されてるイメージを勝手にどんどん膨らませ、それを事実と思い込んだ。

そのため仕事は長続きせず、少年鑑別所に入れられたことも。兄弟が助けてくれ、夜間高校にも通うようになったが既に心は壊れていた。

仕事を辞めたあとは路上生活をしながら自殺未遂を繰り返した。飛び降りようとしては足がすくんでしまい、手首を切っては痛みに耐えられず…自殺未遂は19回にも及んだ。その後、ピストルを盗み凶行に及んだ。実家に戻っても「遠くで死にな」と母親から冷たくされ、函館や名古屋で合計4人を射殺し、さらに悪事を重ね、ついには逮捕された。

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幼い頃から虐待を受けていると脳の海馬が委縮し、成長してからも鬱や不安感、自殺願望が出る場合がある。昭男は愛情を受けずに育ち、時間をかけて脳にダメージが与えられてしまっていた。更に環境にも全く恵まれず、5歳で親に捨てられ、極寒の地・網走で兄姉と暮らした。

壮絶な極貧生活と母親のいる青森に行ってからは兄から毎日リンチを受け、家出を繰り返し、小学4年以降、顕著化した抑うつ状態と強い自殺願望が生まれる。家族からの無関心により、学校の長期欠席や中学から非行が起きる。

上京してからも昭男は社会性が未熟のため一度は頑張るものの物事を正しく判断する機能が低下しており、それによる失敗が続きストレスがとれる事はなく、自分の中だけで結論づける癖だけでなく、被害妄想も日に日に深刻化していき、犯行直前には慢性的な栄養失調と野宿から来る睡眠不足に陥っていた。そして現実感が遠のく『離人(離人症)』という精神状態になり、攻撃衝動が激しくなったのだった。

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昭男の裁判は本人が何も語らないままどんどん進んでいった。その頃、看守から「読書でもしてみなさい」と気軽に言われたのがきっかけに、昭男は何かにとり憑かれたように夢中で本を読んだ。昭男が読んだ本は膨大だった。哲学書だけでも70冊を超え…そして昭男は大切な事を知った。

ある日、事件に興味を持った元作家で編集者の人から出版を打診された。1971年に出版した『無知の涙』が大ベストセラーとなり、最初の3週間で6万部を売り上げた。世間に与えた影響は大きく、死刑廃止運動と昭男の支援団体もつくられた。

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その後も昭男は作家として活動を続け、死刑廃止団体と結びつき少年法についても影響を与えている。1997年、死刑執行が来る。昭男48歳。最後に「僕が出した本の印税は恵まれない子供達に…」との言葉を残して執行される。昭男の遺骨は生まれ故郷の網走に撒かれた。

***感想・評価・考察***

元ネタの永山則夫連続射殺事件について全く知らない立場から読んだ。令和の時代になった現在では知らない人の方が大半だろうと思う。その後に探求心からウィキペディアを調べ、より具体的な背景を知る。獄中結婚した事実も知り、そのときに妻・永山和美さんが2017年に『永山則夫の花嫁』を出版したことを知る。

一部で天才と言われている由縁は文章力からだろうか。不幸な生い立ちからスグに犯罪を犯したと結論づけるのは浅慮に思える。永山則夫という人物像を調べれば調べるほど複雑で理解しづらい人間性であることがわかる。しっかり理解するには手記や小説を読まなければ理解できないだろう。

本作はほぼ史実通りに書かれているが、一部は脚色・省略されている。例えば最期の死刑執行シーンは穏やかに執行されたように書かれているが、実際にはかなり抵抗したことがウィキペディアには書かれている。また文筆活動にはほぼ触れられていない。読了後に興味を持って調べていたら自伝小説『木橋』で新日本文学賞を受賞していて驚いた。ジャズ喫茶で働いていたときは北野武(ビートたけし)さんとも一緒だったとのこと。

永山則夫は独房で20歳から48歳までの28年間を過ごした。人生の大半が獄中生活と言えるわけだが、本作では幼少期から逮捕までが中心となっている。本作では逮捕後のエピソードは20%程度しか書かれておらず、永山和美さんとの獄中結婚に関しては一切触れられていない。

1997年のドラマ『死刑囚永山則夫と母』では母の永山ヨシ役を大竹しのぶが熱演。ドラマでは戦後最大の少年事件とタイトルがつけられているが、悲しいことにその後それ以上の『神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)』『名古屋アベック殺人事件』『女子高校生コンクリート詰め殺人事件』など凶悪・残忍な少年事件が起きる。永山則夫が生きていれば何を思うだろうかとふと思った。