2013年7月に発売された週刊ヤングジャンプで連載中『キングダム』30巻の感想ネタバレまとめ
突如函谷関の裏に楚軍が現れる。全ての対応が遅れ、兵たちも諦めかけていた。そしてついに函谷関が落ちようとするその時、突如崖を下ってくる軍が出現する。旗には王の文字が・・・。
目次
第318話 打ち止め
第319話 楚王の怒り
第320話 首謀者の行方
第321話 渋い状況
第322話 麃と飛
第323話 本能型の極み
第324話 ど阿呆
第325話 前進
第326話 うまい酒
第327話 政の決断
本編あらすじ
キングダム 30 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
函谷関の裏手から現れた禍燐軍5000人は、一気に背後からなだれ込み、今にも内側から函谷関の正門をこじ開けようとしていた。蒙驁将軍をはじめ、函谷関を護る秦軍の誰もが陥落を覚悟した瞬間、山間から王翦軍が一斉に現れる。
山岳地帯での燕・オルドとの心理戦を制し、函谷関の援護に現れた王翦軍により、秦軍は函谷関陥落の窮地を危機一髪で脱する。これによって合従軍側の15日目の総攻撃作戦は失敗に終わったということになり、合従軍の函谷関突破は極めて困難となった。そして燕軍を除く合従軍全軍が、開戦前の位置まで軍を退却させるのだった。
歓喜する秦陣営。ここにきてこの先、別の決め手が出てくることは考えにくいと推測される状況に対し、どこか安堵の雰囲気が漂う秦軍。そんな中で、前線の麃公や信は、李牧が動いていないことに対しまだ何かの企みを感じずにはいられなかった。
そして開戦18日目。咸陽に、小さな城が攻め落とされたという急報が次々に入り出す。昌平君らが急いで地図を調べると、咸陽に至る北道を守る函谷関からではなく、咸陽に至る南道を守る武関(ぶかん)の内側(咸陽側)の城が次々と落とされていた。
武関が抜かれた様子がないことから、敵軍は険路が多く大軍移動には向かないはずの南道へ山間から割り入り、相当の日数をかけて進んできたことになる。敵軍の数は4万人にものぼり、兵を率いている人物は李牧であると判明。思いつきではなく、開戦当初から計算通りに兵を少しずつ送りこんでいたと思われる李牧の緻密な戦略に気づき、秦陣営に戦慄が走る。
一方、合従軍の中ですら李牧の動きに気づく者はほとんどいなかった中で、麃公将軍だけは直感で動き、飛信隊を引き連れ、後を追ってきていた。麃公・信たちは、自国の利でまっすぐに南道を目指すことができた分、秦軍に見つからぬよう用心深く兵を進めていた李牧軍に追いつく。
李牧の仕掛ける戦術『流動』をことごとくかわし、ついに麃公は李牧と対峙。直感だけで流動の流れを把握し、中心まで攻め込んできた麃公に対し、李牧は「理解の範疇を超える本能型武将の極み」だと称するも、麃公を前にして李牧は冷静そのものだった。
そして李牧は、麃公に対し、何と龐煖を向かわせる。突然の龐煖の出現に、龐煖を知る飛信隊のメンバー達は驚愕。李牧の『流動』に手こずりながらも、何とか麃公の援護に向かおうと奮戦していた。
麃公は、王騎を討った男がこの龐煖だと知り、合点がいったと語る。王騎の名を出した途端、何の感情も持たぬように見えた龐煖に苛立ちの感情が現れたことに気づいた麃公は、それを認めようとしない龐煖に「己の中の大いなる矛盾に気づかず一人もだえておるただのど阿呆」と言い放ち、龐煖と一騎討ちを始めた。
龐煖と打ち合う麃公だったが、李牧の戦術『流動』の流れを見破れる者は麃公以外におらず、麃公と共に中央まで突破してきた数十騎の兵たちは李牧軍の兵に討たれ、麃公は孤立。もはや活路は見出せない状況に陥っていた。
その時、麃公の援護に向かっていた信たちが徐々に近づいてくる。信の声に気づいた麃公は、信に前進して咸陽へと進めと叫び、自らの盾を信へと投げつける。そして麃公は、龐煖との激戦で左腕を斬られ、麃公は龐煖の左腕をへし折った。麃公は信に、「火を絶やすでないぞォ」と叫び、龐煖に討たれる。
麃公の死を目の当たりにし、信は激昂。麃公の仇討ちに向かおうと怒り狂う信を壁は力づくで諌め、今は咸陽へ進み、麃公の意志を繋ぐべきだと言い聞かせる。信は必死に抵抗するも、壁の指揮のもと脱出。5千人いた麃公軍は2千人ほどに激減。残った兵たちは李牧軍の追撃を受けながらも咸陽を目指して走った。
そして麃公討ち死にの報を受けた咸陽では、活路を失い、手だてを考える時間すら残されておらず、秦陣営は絶望していた。その時、水面下で呂不韋が動き出す。もはや咸陽陥落は時間の問題と判断した呂不韋は、朱凶ら暗殺集団を王宮に忍ばせ、政の首を狙おうとしていた。
常に呂不韋の動向を見張っていた肆氏は、呂不韋の不穏な動きに気付き、昌文君に報告。肆氏の推測では、恐らく呂不韋は政の首と引き換えに李牧に和睦を交渉し、城をあけ渡すことで何かしらの恩恵を受けようと目論んでいるはずだという。
その頃、渦中の政は誰にも告げず姿を消していた。政は独断で昌平君に相対し「国家存亡の刻、呂氏四柱としてではなく軍総司令としての立場から意見を聞きたい」と問う。政は昌平君に、咸陽の喉元にある最後の城・蕞(さい)に政自らが出向き、一般市民を率いて李牧軍と戦うと宣言。そして昌文君らとともに、政は蕞へ向け出陣するー。