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【キングダム】感想ネタバレ第37巻まとめ

2015年4月に発売された週刊ヤングジャンプで連載中『キングダム』37巻の感想ネタバレまとめ

キングダム 37 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

キングダム 37 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

  • 作者:原泰久
  • 発売日: 2015/04/17
  • メディア: Kindle版
 

王賁の策で定められた開戦3日目の朝がついに明ける。王賁は必死の思いで魏火龍七師の紫伯を討ち取る。信は、羌瘣らを魏本陣に向かわせるために自ら囮となり凱孟と戦うが、引き分けで終わる。そして見事、飛信隊・玉鳳隊・録鳴未軍の3軍は同時刻に敵本陣を攻め、ついにこれを落とす。

敵本陣が落ちた後、信は呉鳳明と魏火龍七師である霊凰と遭遇し、霊凰を討ち取る。一方、王都咸陽では、太后と嫪毐の間に子供が二人できており、太后と嫪毐は王都咸陽を出て、太原に毐国を建国した。

目次

第394話 見物
第395話 王賁の責務
第396話 修練の日々
第397話 本陣へ
第398話 戦わぬ訳
第399話 肉迫す
第400話 陥落と退避
第401話 これからの戦国
第402話 咸陽の動き
第403話 太后の狙い
第404話 呂氏春秋あらすじ

本編あらすじ

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著雍戦3日目。

きたる正午の作戦決行に向け、各所では激しい戦いが始まった。信は凱孟と一騎討ちに入り、2日間あえて停滞していた録嗚未軍も全軍出陣。そして前日紫伯軍に完敗を喫した玉鳳隊は、紫伯撃破にこだわり抜く王賁の執念により、死闘を繰り広げていた。

前夜。魏国一の槍の実力者である紫伯に対し、王賁ではまだ力が及ばぬと判断する千人将・関常は、再び一騎討ちに挑むは無謀であると意見する。もし敗北するとなれば、すなわち作戦の失敗となり、首謀者の王賁は大敗の原因を作った戦犯となり得るため、作戦自体を中止するべきだと促していた。

しかし王賁は、無理に見える戦局を覆してこそ名があがると反論し、その場を去った。そして再び紫伯との決戦。紫伯の槍が王賁の胸の中心に突き刺さる。王賁の胸からは血が吹き出て、落馬しそうになるが、何とか堪えた。それを見た副将は全軍退却の命令を出そうとするが、王賁はそれを遮った。

前日の負傷も伴い、王賁はまたも苦戦するが、何度も紫伯の槍を受けながら、王賁は徐々に紫伯の槍技の型を捉えはじめる。紫季歌を失って以後、生への本能が欠如している紫伯は、それゆえに急所を守るという人間本来の反射反応が皆無であった。

実戦、我流で叩き上げた紫伯の槍と違い、王賁は正式な槍術を基礎から修練し積み上げてきたものであり、その槍術にはあらゆる敵に対応する無数の型があった。

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王賁は、紫伯のその動きに違和感を覚え、生への執着を持たない紫伯に対し、それは弱点となると確信する。王賁は紫伯の敗因を長く槍を見せたことだと言い放つ。そして王賁は粘り強く打ち合った末、ついに紫伯の型を捉え、急所を貫くことに成功。王賁は紫伯を撃破する。

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一方、飛信隊の持ち場では、信と凱孟が激しく打ち合いを続けていた。ひねりがなさすぎるように見える貂の戦い方に対し、凱孟軍軍師・荀草は訝しむが、貂は頃合いを察し、凱孟軍の横から挟撃を仕掛けるように見せかけていた右軍の羌瘣隊に合図を送り、呉鳳明本陣を目指して離脱させる。

羌瘣隊が本陣へ向かうことにより、がら空きになった飛信隊の右翼側から凱孟軍が中央になだれ込んでくる。敵軍に取り囲まれ、窮地に陥る飛信隊。昨夜の作戦会議で、河了貂は信の隊二千を凱孟軍一万三千の中に置いて行くとこを提案していた。

その時、右手の山側から、隆国将軍率いる援軍が現れた。貂は、この時のために前夜から隆国将軍のもとへ援軍の要請に向かい、連動を図っていたのだった。

魏軍に気づかれることなく援軍が絶妙なタイミングで現れたという状況を鑑みて、荀草は隆国軍を危険な敵と判断。凱孟に退却するように指示を送り、信と凱孟の一騎討ちはそこで終了となった。凱孟軍退却後、信はすぐさま本陣に向かう。

 

そして呉鳳明本陣では、紫伯を討ち取った玉鳳隊が真っ先に突入してきていた。その数3千人強。呉鳳明が対応を指示しているそばから、録嗚未軍も突入。その数8千人。そして羌瘣率いる飛信隊・約2千人が本陣へ突入。呉鳳明本陣は3軍同時の突入に混乱する。

 

騰軍が秦の主攻であると錯覚し、作戦を読み間違えたことに気づいた呉鳳明は、もはや喉元までに迫り来る3軍を止める術は無いと悟る。その頃、飛信隊は呉鳳明本陣の間近まで迫っていた。羌瘣は、岳雷と我呂に隊を任せ、1人で呉鳳明本陣へ突撃。遮る魏軍兵を瞬殺し、呉鳳明の天幕の中まで辿り着いた羌瘣は、呉鳳明の首を刎ねるが、側近の表情から替玉だということに気づく。

 

呉鳳明本人を討ち損ねたものの、本陣は壊滅状態。羌瘣は魏軍本陣一帯に火を放ち、敵本陣陥落の狼煙をあげて全戦場に秦軍勝利の報を伝えるように指示。勝利の狼煙を目にした秦軍は歓喜に沸き立ち、呉鳳明が討たれたと落胆した魏軍は戦意を失った。


秦軍勝利に各所が沸き立つ一方で、替玉により逃げ切り、騰本陣を目指し立て直しを図っていた呉鳳明は、逃亡の途中で同様の算段により動いていた霊凰と出くわす。本陣を捨てた経緯を説明する呉鳳明に対し、霊凰は、「現在援軍が来ない騰軍を攻め込み、騰の首さえ獲れば、一気に魏軍の勝利に傾けさせることができる」と断言。

騰に援軍が来ないと分かれば乱美迫に全軍攻撃をかけることにより半刻もかからず騰を討ち取れると推測した。騰軍に対し全軍攻撃を仕掛けるつもりであることを話しているまさにその時、2人の前に信の刃が襲いかかる。

 

信は、本陣に向かう途中、偶然目に入った呉鳳明軍の逃亡中の砂塵に気づき、向かってきていたのだ。矛を振り上げた信は、呉鳳明の顔を知らなかった故に、呉鳳明が咄嗟に霊凰に向かって発した「鳳明様お逃げをっ」という声に反応し、霊凰を斬った。

攻撃の衝撃により信が落馬した隙に、呉鳳明は逃亡。呉鳳明は逃走する最中に霊凰の側近から霊凰を身代わりにしたことについて問い詰められる。呉鳳明は魏国のためと返す。

霊凰の力は十四年前に止まっており、呉鳳明自身はそれをあと一年で並び、次の一年で大きく引き離すと断言する。強き者が残らねばこれからの戦国を魏は勝ち残ることはできなく、乱美迫を始めとする霊凰の大駒は全て呉鳳明が引き継ぐとした。

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これにより、魏軍は完全撤退。秦軍の勝利が決定する。この勝利により、秦は魏の重要地・著雍を奪い取ることに成功。さらに、出陣前に昌平君から騰に出されていた指示により、著雍に塁を張り巡らせ、天然地形を活かした大要塞を築くという大計画が発表された。

著雍を拠点とし、徹底的に魏国の弱体化を図る意図を汲み取る。騰は戦国七雄、かつて百を超えた国々が七つの大国に収まって、二百余年が経過するが、ついにその均衡が崩れ、滅びる国が出てくると言う。


著雍の戦から2ヶ月。趙国邯鄲では李牧達が地図を広げて今後の中華を考察していた。慶舎は秦が大きく出た以上、趙が動くのかと李牧に問うが、そんな余裕はないと返される。咸陽では大王側と呂不韋側が激しい論争を繰り広げていた。

王宮に突然太后が現れる。卜(うらない)により、2年間ほど離宮に隠れていたという太后だったが、突然の訪問の理由として、「山陽と著雍一帯を後宮の三大宮家で固めて統治し、金を落として一帯を強化したい」と切り出す。

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呂氏四柱・李斯(りし)は、著雍の築城でただでさえ金のかかる地に、後宮三大宮家の財を当て込むのは悪くない案だと考えながらも、即決はしかねるため検討させて欲しいと答える。しかし太后は、三大宮家が推薦する宦官・嫪毐(ろうあい)を山陽の長官に迎え入れると言い、呂不韋に同意を求めた。

 

実際のところ嫪毐は宦官ではなく、呂不韋が太后との体の関係を断つために後宮に送り込んだ男娼であった。その事は王宮内でも呂不韋と李斯しか知らぬ事実であったため、ある種の脅しともいえる同意を求められた呂不韋は、太后の提案を認めざるを得なかった。昌文君は反対するものの、多数決により、嫪毐の山陽長官は決まったのであった。そして太后の思惑通りに事は強引に進められることとなる。

 

その後、李斯は隠密・朱凶を使い、太后と嫪毐を探る。そこに二人の子供が現れる。二人の子供は嫪毐を父上と呼び、太后を母上と呼んだのであった。朱凶は太后と嫪毐の間に双子らしき兄妹(姉弟?)が生まれている事実を突き止めるが、李斯に報告する前に後宮の見張り番に殺されてしまう。王宮では嫪毐の正体が一切不明のまま、山陽・著雍一帯の長官の人選は後宮にゆだねられていた。

 

首脳陣たちが困惑しているさなか、呂不韋は、長年にわたり編輯(へんしゅう)していた「呂氏春秋」という一大書物を完成させた。その時代までに存在した様々な史書、思想書、学術書を十二紀に編集し、礼や音楽、気の扱いから兵事、農耕などあらゆる人の営みについての答えを網羅した大事典である。

この書物で最大の発明は時令にある一年を十二に分ける月の発想であり、それは現代にまで続いている。呂氏春秋といえば一字千金言われるのが一般的に有名である。呂不韋は蔡沢と一緒にいた。蔡沢は呂氏春秋を読み、その完成度は高く、誰も書き加えることはできないと言い、改めて呂不韋を傑物とし、乱世において文の道でも名を残すと語った。

 

その頃、山陽の動きに何かを嗅ぎ取らせるため、昌平君は介億を派遣し、探りを入れていた。介億はそこで、太后と嫪毐が山陽を出て"太原(たいげん)"という北の地に向かったという情報を掴む。太原は山陽、著雍からはるか北であり、秦極北の都市であった。秦国としては最北の国境を守る要ではあるが、僻地であり、大量の人が集まるという異変が起きていたのだ。

 

そして、咸陽の王宮にも、秦国北東の地・太原に太后と嫪毐が山陽入り、「太原一帯を"毐国"とすると宣言した」という急報が入るーーー!